ダメなオタクのダメな生き方

言いたい事だけ書きます

オタクになって半年が過ぎた

しばらくブログを書いていなかった間に、いくつかの舞台が終わり、冬から春になり、もうすぐ夏がくる。

その間の私はというと、うっかり前列立ち居地ゼロズレで推しの姿を拝んでしまい、いよいよオタクの楽しさに、沼にハマってしまった。

全通とはいかないまでも仕事の都合がついた為それなりにアイアに通い、エクセルシオールで手紙を書き、これが私信か?と一喜一憂し、プレを着てもらい、チェキを撮ってもらったり握手してもらったりした。思えば、過去の記事ではプレは渡さないと言っていたのに、やはりオタクの言う事は当てにならない。

 

本当に右も左も分からないまま足を突っ込んでしまったが、今のところ順調に俳優オタクのテンプレを経験している。ジャニオタの友人達に、今まで三次元の良さをちゃんと理解してなくてごめんと謝罪しながらハイボールを呷る日々である。

初めてプレゼントを使ってもらった日は、偶然にも私が仕事で大きな区切りをつけた日だった。二度目にプレゼントが採用されたのは、公式サイトができて一発目の動画だった。本当に推しに生かされている。感謝しかない。

だけど不思議な事に役者として好きになればなるほど、楽しい事と同じくらいしんどい事もあって。早く楽にしてくれ、二次オタに戻りたいと思いながらも好きな気持ちは抑えられず、今日もチケ取りに励むのである。

ファンになって半年と少し経ったけれど、たった半年応援してきた間に本当にいろんな表情を見せてくれるようになった。たった半年だ。1年後、3年後、もっとその先の彼はどんな演技を魅せてくれるんだろう。どんな表情で、どんな言葉を語るんだろうか。そんなまだ見ぬ将来を想像すると、もう少しオタクはやめられないなと、ぼんやり考える。

 

アニメや漫画のキャラクターに夢中だった時には、ぼんやり能動的に応援するという概念がそもそも無かった。毎日躁みたいな感じだった。だけど、若手俳優のオタクをしている時は違う。いろいろな事柄が絡み合って、自分でもその境目が分からなくなってしまった。私だけかもしれないが、役者として少しずつ魅力を知っていく事で、その延長線上としてどうしても本人の人柄が繋がってきてしまい、役者という存在と、一人の生身の人間という存在が切り離せなくなってくる。役者という偶像化された彼は、本当の彼じゃないという事は分かっているはずなのに。そんなフワフワした感覚が心地良くて、アレコレひっくるめて好きという気持ちは大きくなっていく。

 

夏は推しの誕生日をお祝いできるので、今はそれが毎日の楽しみだ。現場もあるし。

プレゼントは元々決めていたんだけれども、最近同じものを持っている俳優を見かけるので今更悩んでいる。

現場に通える間は、とりあず今日も私は生きていけそうだ。