ダメなオタクのダメな生き方

言いたい事だけ書きます

プレゼントのはなし

夏が終わっちゃった。
あーんなに楽しかったのに、推しはキラキラした笑顔で夏と一緒に目の前を駆け抜けて行った。人生で一番楽しい夏だった。これ以上遠くに行ってもいいけど、離れていってもいいんだけれど、だけどお願い、私が頑張れば追いつく歩幅で歩いてください。



少し前に、プレゼントの話を同厨の方から振られた。良い機会なので、一度プレゼントについて書いてみようと思う。
このブログ、推しがバレバレなので、あくまで弱々オタクの一例だと思って話半分に見て下さい。

基本的に、私は服とかアクセしか入れていない。予算も2万~5万くらい。
まあね、消耗品がたぶん一番無難なんだと思う。潔癖の人とか見ず知らずの人からもらった物は捨てたいだろうし、私なら怖くて捨てる。消耗品って欲しかったら手元に残して、いらなかったら捨てるか誰かにあげるかできて、何より形に残らないから一番迷惑にならないと思う。それは分かってるんだけど、バカだから服あげたくなる。これもう仕方ないよね、バカになっちゃってるから。
プレボにプレ入れに行く時、他の人の紙袋見えちゃう事って多々あると思うんだけど、思わず心の中で突っ込んでしまったのはZARAZARAがダメなんじゃない。ZARAめちゃくちゃ買うし、安くて可愛いから普通に好き。ただ個人的に、THEファストファッション系ブランドは俳優本人が自分で買えるだろうと思っちゃうので、あくまで私の場合は絶対に入れない。
もう一つ、自分なら絶対にしないのはラッピングせずに渡すこと。うちの推しの場合、マジでラッピングしてない人が多い。前述したZARA然り、@コスメで買ってそのまま中身見えてるような紙袋とか、HAREの紙袋でも見たことある。ラッピングしてもらうの、自分もテンション上がるし良くないですか。面会で渡すんじゃないんだから、ラッピングしようよ。クシャクシャの紙袋で中身も見えてたりすると、推しの事もっと大事にして下さいって泣きそうになるので…ラッピングはしよう。

じゃあオマエは何入れてるんだって言われると、偉そうな事言っといて申し訳ないんですけど、大体ルミネエストか伊勢丹メンズ館で買ってます。
ルミネの5階とメンズ館の2階行けば、店員さんに相談できるから何とかなると思っている。
一番最近は、オタクみんな大好きSTUDIOUSでJohnUNDERCOVERのシャツ買いました。オンラインショップとかインスタとか見て、可愛いなって思ったのを店員さんに見せてもらって、サイズ感とか聞きながら選んでる。この時は店員さんが私の五倍くらい話す人で、途中から店員さんのファッションショーを私が見る形になってて笑った。予算と、どんな感じの物が欲しいかを伝えれば店員さんがじゃかじゃか出してきてくれるので、メンズファッション全く分かんないオタクには絶対に店で買うのをお勧めする。BUYMAじゃなきゃ買えないとかなら別だけど、通販は失敗が怖いから私は無理だ。
小物類は、いろいろ見れて楽しいので路面店行きます。GUCCIが好きなので表参道のGUCCIで買い物して、そのまま青年館まで歩いたりした。プレ買いに行った時めちゃくちゃ好みの男性店員さんに接客してもらって、「試着してみますか?」って私にも付けてくれて、喪女なので「人権だー!」って沸きました。
ジャスティンも可愛くて値段も手頃なので、今度あげたい。でも今一番あげたいのは時計なので、誰かお勧めの時計あったら教えてください。

プレゼントの打率で言えば、うちの推しの場合は10割です。あんまり数あげれてないので、実際のプレの総数に対する打率が分からなくて申し訳ないけど、私の場合は今までプレした物は全部使ってくれてるし、着用写真もどこかしらで確認できてる。そもそも私自身、推しが何年も同じ服着てる事を知って服プレし始めたので、基本的には余程趣味に合わない物を入れなければ何でも使う人だと思う。
ただ、手紙でも散々書いてるんですけど、プレゼントってあくまで自己満足なのでメルカリに出そうが横流ししようがオッケー派です。今日も素敵なお芝居見せてくれてありがとう、って気持ちをチケット代以上に伝えたくて、だからプレって渡すものだと思ってるので。
とは言え、自分が似合うと思って準備したプレゼントを着用してくれるのは死ぬほど嬉しいし、その姿で映像撮ってたりすると、オタクは単純だから泣くほど嬉しいんだよね。見返りを求めるのは間違ってるのに、直ぐに忘れてしまう。芝居して、キラキラしている姿見れるだけで満足なのに。自分が、その他大勢のオタクの一人だって事を胸に刻んで生きて行きたいですね。

次の現場は10月なので、何を渡すか1ヶ月考える時間があって楽しい。推しに限らず、プレゼントって相手の事を思って準備している時が一番幸せだ。
皆さんも、良き貢ぎライフを!

『八王子ゾンビーズ』についての散文

『八王子ゾンビーズ』が、明日で千秋楽を迎える。批判的な感想が多く見受けられたこの舞台であるが、千秋楽前に書いておきたいことがある。
前置きとして、私も「八王子ゾンビーズって最高に楽しいけど、つまんないよね。」と言っているオタクの一人だ。
だけど、私の思っている「つまんない」理由は、SNSで語られる理由とは少し意味が違うかもしれない。多くの人が「つまらない」という一言でまとめてしまっているので、私と同じ考えの人がどれくらい存在するのか分からない。「つまらない」って言葉は扱いが難しい。

私は、『八王子ゾンビーズ』は社会風刺色が強いと思っている。
鈴木おさむが、どの程度狙っているのか本当の所は分からないが。まあ、一人のオタクの勝手な妄想だと思って欲しい。


そもそも『八王子ゾンビーズ』の主人公であり、語り部でもある羽吹は、劇中すべての出来事を過去形で語っている。導入部から終始、羽吹の語りで物語は回想、転換される。観客は羽吹と共に出来事を追体験したり、感情移入したりする必要は無い。物語は全て、家でボーっとテレビを見ているかのように、観客はただただ消費していく。羽吹が一人で喋り続ける姿を見て、ゲラゲラ笑って、あんなニュースあったなとか最近あの芸人見ないなとか海鮮食べたいなとか、そんな事をボーっと考える。実にテレビ的な手法である。
そんな羽吹が、自分探しの為に辿りついたのが「希望寺」である。この希望寺の住職の名前が「こうめい」であり、紫色の袈裟を着て登場する。紫という色は宗教において実に重要な意味を持つ。キリスト教然り、仏教然り。私はあくまで宗教を学問や文化として楽しむ人間なので、造詣が深くなくて申し訳ないのだが、多くの宗教で紫という色は神聖な扱いを受けており、確かイエスも侮辱の意味を込めて紫の外衣を着せられていた。そんな孔明は、自分の正義を信じて行動する。孔明というキャラクターは、自分の信じる正義と羽吹の信じる正義は違うと言う。彼は最後まで自身の考えを曲げようとはしなかったし、これからも変わらないという。孔明というキャラクター自体が、現代におけるカルト宗教を表現しているのだ。私たちが普段消費していく沢山のニュースの中に、たまに紛れ込んでいる宗教法人のニュースを見るのと同じように、観客は孔明の正義の良し悪しを考える。ある日の劇場からの帰り道で、私の前を歩く女性達が「孔明の言ってることも分かるんだよねー。」と話していた。その姿を見て、私は職場や学校でニュースの出来事を見てあれこれ議論する人々と同じ構図だな、と思った。おそらく、鈴木おさむの狙いとしてはコレが正しいのだと思う。
鈴木おさむはテレビの人間だ。舞台作品を演出するならば、自然とテレビ的な手法に行き着くと思う。個人的には、面白いことやりますよ、新しい取り組みをしますよと謳っていたのは、応援上演よりもコチラの方だったんではないかと思う。応援上演は映画館で流行っているから取り入れたと言っていたが、正直、観客を「八王子ゾンビーズ」の世界やキャラクターに感情移入させないようにする仕掛けの一つではないだろうか。だって、真面目に観客を良い話で泣かせたいならば、わざわざ集中力が途切れるようなタンバリンや手拍子なんてさせるか?お茶の間で、テレビを見ながら笑って手を叩いたり、親がドラマやニュースの感想を喋ってる横で「はい、はい」って聞いている、あの感覚を劇場で擬似的に作ろうとしているとしか思えない。
個人的に面白いなと思ったのは、物語のキーマンの一人でもある楓の描き方だ。「楓が、何故母親に産んでくれてありがとうと言うのか、意味が分からない。」というような感想を複数目にした。なるほど、と思った。
私は楓と大池市長の関係を、典型的な「毒親」と「アダルトチルドレン」だと考えている。というのも、私自身がアダルトチルドレンであり、毒親育ちである。未だにこの親子関係について誤解している人も多いが、最近は社会問題の一つとして以前よりも市民権を得た気がする。大池市長は、自分の夢や、こうありたかった理想の姿を息子の楓に求めている。思春期に子供が反抗期を迎えない場合、一部の親は精神的に子離れできず、母親の場合は特に臍の緒で繋がっていた我が子との乖離が難しいようである。大池市長の行動の根底には愛情があったと思う。しかし彼女は、楓を自分の体の一部であり、まったくの別人格を持った一人の人間であると考えられなかったのだと思う。「私は親だから、子供の考えていることは分かる。」という親がいるが、正にあんな感じだろう。楓はおそらく、多忙で家庭を顧みない両親に対して、早く精神的に成熟しなければいけないと考え、親の前では良い子を演じていたのだろう。楓が亡くなるまで、大池市長は楓の素行が荒れていたのを把握していなかったようだし。大池家は典型的な機能不全家族だったことが予想される。アダルトチルドレンの親に対する感情は、ざっくり分けて生理的嫌悪を抱いているか、いないかの二種類だと思う。楓の場合は後者である。毒親の行動原理が子供への愛情だと理解している場合、その行動を怨んではいるが、愛してくれているという事実に対して嫌悪感は無いと答えても不思議ではない。作中で描かれる楓は、優しく聡明な男の子である。自分の母が、歪んだ表現とはいえ自分を愛していること、歪んだ親の愛情に応えなければいけないことに葛藤していなのではないだろうか。本当の仲間だと思った八王子ゾンビーズたちに、助けを求められなかったのも、楓の心根の優しさと、それゆえの弱さを物語っている。私は楓の気持ちが痛いほど分かる。私も心から信頼している友人達がいるが、物心ついた時から現在まで、おおっぴらに自分の家庭環境について話したり相談したことはない。自分の家庭問題で相手を煩わせたくないからであり、信頼していないからではない。おそらく、大池楓もそんな風な理由で、限界を迎えるまで八王子ゾンビーズ達に頼らなかったのだと思う。
さて、もしも鈴木おさむアダルトチルドレンの風刺として楓というキャラクターを作ったのならば、観客が「何故、楓は母親に感謝したのか。」と疑問に思うのは仕掛けとして成功していると思う。アダルトチルドレンの思考について、理解して欲しいのではない。私も、機能不全家族で育っていない人に、アダルトチルドレンの気持ちを分かって欲しいとは思わない。社会問題として存在するということ、それだけ知ってくれれば十分なのだ。

「八王子ゾンビーズ」という舞台は、観客がボケーっとしながらテレビを見ているかのような感覚で、目の前で流れていく出来事を消費していく。家でニュースを見ているのと同じ。気になったニュースはググって、ふーん、これこれこうだからニュースに取り上げられたのか。こんな条例があるんだなあ。こんな会社があるんだ。とか、気になったワードを調べて詳しくなって、でも時間が経ったら風化していって。そういった、多くの人が当たり前にしている行動を、劇場という環境に置き換えている。もし私の妄想通りならば、鈴木おさむが社会風刺として一番訴えたいのは、日々テレビ番組をボケーっと見て消費し続ける私たち=観客の在り方についてではないだろうか。「俺たち、こんなに汗水垂らして面白いもの作ろうとしてるのに、何で伝わんないんだよ!」みたいな。流行というと聞こえはいいけれど、近年、特に消費社会化してきていると思う。私もそうだが、みんな飽きっぽいのだ。

では何故、私はこの作品をつまらないと思っているのか。それは、社会風刺としての仕掛けが、圧倒的に観客の偏差値と合っていないのである。
そもそも、アーティストや若手俳優のファン層のうち、どれ程の人が社会問題に興味を持っているのだろうか。偏見かもしれないが、たぶん、皆あんまり興味ないと思う。昔、某大手広告会社の人の講義を受けたことがあるのだが、テレビ番組にも偏差値のようなものがあると言っていた。マーケティングでいうなら、市場のセグメンテーションとターゲティングというやつだ。客層に合わせて商品展開をする、という意味で失敗している。なぜなら、観客のほとんどが、社会風刺色の強い作品だと気付いていないのだから。ただし、これは商業演劇の場合である。鈴木おさむが今回やろうとしたのは、エンタメ性を強く出しながらも、演劇本来の芸術志向性の高いものである。演劇の場合、芸術志向性の高さとは、「実力派の役者!」とか「骨太な脚本!」を売りにする事では無いと私は考えている。準備された脚本をどう味付けするか、つまり演出である。「八王子ゾンビーズ」はエンタメの皮を被っているが、その中身はかなり攻撃的だと思う。何でもありの小劇場ならば、脚本のみで言えば上手くハマったのだと思う。ネルケが、今後の2.5次元をただの消費されていくエンタメにしない為に今回の企画を打ち出したのならば、「八王子ゾンビーズ」はかなり試験的な作りになっているのではないだろうか。
まあ、全部オタクの妄想なんですけどね。



そんな八王子ゾンビーズも明日で千秋楽である。このブログを読んだ人が、観劇中にふと別視点で物語を楽しんでもらえれば私は満足だ。
私は今年の夏を八王子ゾンビーズ達と過ごせて最高に楽しかった。
頭を空っぽにしてアドリブパートで笑って、殺陣を観てテンション上がって、ダンスシーンでエモくなるだけで十分楽しい。推しがこの作品に出てくれて、毎日楽しそうに板の上に立っていて本当に良かった。千秋楽、最後はみんなで笑って成仏しよう。

上半期振り返り

ゾンビが始まる前に、2018年上半期の振り返りをしようと思う。
チケホルを見返したら、自分の想像より引くほど現場入ってなかった。よっ、弱オタク!


1月
■刀ミュつわもの
■オガステ
■髑髏城の七人(下弦)
そう、髑髏城観に行ったんだよ!最高だった!ブログを書こうと思っていたが、完全に忘れていた。荒野の掘っ立て小屋マジで凄かったし、川が流れて雨も降った!!
まったく俳優知らなかった頃から鍋のおかげで鈴木拡樹くんだけは知ってて、やっぱり彼の熱量とか世界観は特別だと思った。役名確認してから観たけど、えっ?!これ拡樹くんだよね???とびっくりした。俳優のマモちゃんも初めて観たけど、新鮮でよかった。私的にはアニメのイベントとかラジオの雰囲気引きずってたけど、普通に泣いたし、力強さで圧倒された。髑髏城、また同じキャストで観たい。蘭兵衛がめちゃくちゃエロかった。

2月
なし
チケットを集めるという事を覚えた。仕事がクソほど暇で、バイトしようと思いつつ毎日寝て過ごしてた。

3月
■もっと歴史祭
■デビミュ
■写真集イベント
歴史祭は、キャンディボーイの奥谷知弘くんがめちゃくちゃ手を振ったり目線をくれて楽しかった。推しは特に客席と目線も合わせなくて、相変わらずバブだった。基本的につまらないので、永遠にフリートークしてるか、歴史君のうんちく聞いてたい。
デビミュはエレガンテが好きだった。初演から出てるキャストが仲良しで、観に行くの楽しかった。ソワレ入るために自分の送別会干して、二次会から行った記憶がある。

4月
■歴タメリリイベ
■刀ミュむすはじ
■カリグル
CBGKが出張と被って、泣きながら譲渡に出した魔の4月だった。完全に1公演も現場は入れなかったのは一応ここだけなので、わりとラッキーな社蓄だと思う。自衛のためにシャットアウトしてたから、CBGKで何やったか知らない。
刀ミュは巴さんに投げキッスしてもらって、凄い元気もらった。榎本武揚がめちゃくちゃ良くて、彼のおかげで一番ミュージカルらしい作風に仕上がってたと思う。楽にチケット取れたのに、仕事と被ってて譲渡出しまくったので1回しか観れてないけど。刀ミュこんなにチケット取れるの?!ってびっくりする程チケ業務楽だった。

5月
■オガステ2
オガッタは楽しそうにしてる姿が見れるから、まぁ良かったです。毎回よく分かんないんだけど、物理的に握手ループできないようになってるから、あのセットは意味があるのか謎。セット売り切れちゃうし、全員にお見送りでいいのでは?

6月
なし
6月はあんまり記憶がない。普通に社蓄してた。


手帳のメモを見返して書いたけど、何か忘れているかもしれない。小劇にいくつか入ってますが、流石に身バレするので伏せます。
最近は歩くと同担にぶつかるので現場では下ばっか見てますが、本当は若俳オタクの友達作りたいのでコミュ障を改善したい。
現場被るから、はるちゃんのオタクとめちゃくちゃ友達になりて~!って思いながらスタミュミュ行ったのに、誰とも会話しなかった。
昔からオタク友達を作るのが苦手なんだけど、若俳は特にスタンスとか外見に対する意識とかが自分と似通ってないと難しそう。自分は年齢的にもBBAだし。8月の一人アイアは流石に情緒が霧散しそうなので、友達呼んで付き添ってもらうことにした。アイアまじで何するんだろう。推しの生存が確認できるだけでハッピーなので、何してくれても嬉しくて泣いちゃうと思うけど。
下半期はもっと現場入れるように、元気に社蓄していきたいですね。

ミュージカル「スタミュ」2ndシーズン

君は、ミュージカル「スタミュ」2ndシーズンを観たか




夏がきた。暑い。どうかしている。
ジリジリとした陽射しを背に、外苑前駅からの緩やかな坂を上っていく。髪の毛が蒸れて、せっかく髪も巻いたのに取れてきている。目の前でドルオタが無銭しているのを横目で見ながら、私はプレゼントの紙袋を揺らして歩く。
何でこんなに暑いのに、何で私はこんな所で汗かきながら歩いているんだろう。
マチソワ間にダッシュして、表参道まで行ってきた。ぼっちで行動しているから、まともに会話したのは某ブランドの男性店員だけだ。駅の階段上がって徒歩1分くらいの店舗はめちゃくちゃ便利だったから、次の現場もここでプレ買おう。ぼーっと考え事しながら歩いて、私は今日も推しの芝居を見に行く。

観る前にアニメを履修してから行こうと思ったのに、仕事が忙しくてまったく分からないまま観に行った。
初日、幕が上がると、舞台上には本当に楽しそうに芝居をする推しがいた。
こんなに楽しそうに演じる推し、たった半年と少しという短い世界しかしらないけれど、初めて見たかもしれない。それくらい楽しそうに、彼は舞台の上に立っていた。
本当は、彼の役については、ずっと苦手意識を持っていた。目の前で他のファンのこと口説くんだ。へえ。みたいな、みっともなくて嫌な感情しかなかった。楽しく観にいけないだろうな、そう思っていた。
でも、公演が進めば進むほど、そんな嫌な感情はどこかへいってしまった。
物語はすごく単純で、卒業する先輩達とそれを送り出す後輩たちのキラキラして苦しくて、それでも希望に向かってキャラクター達が進んでいくストーリーだ。
よくある、ありきたりな青春の物語。
だけど、そんな先の展開が読める物語だからこそ、千秋楽に向かって公演を重ねれば重ねる程、観客もスタミュミュが終わってしまう事実を突きつけられる。
主人公達が先輩との別れを自覚する姿が、自分にリンクしていく。
ああ、もうすぐ私もこの夢物語から覚めてしまうんだ。大好きな彼とも、あと少しで別れしなくちゃいけないんだ。
『夢を諦める方法なんて知らない!』と主人公が叫ぶ。
私が追っているのは、推しの夢で、そんな夢を追う推しの後ろをついていきたいんだ。それを諦める方法は、今の私には分からない。まだ推しの後をついていかせて欲しい。
東京楽を迎える頃には、いつか来るだろう別れの気配のせいでカーテンコールで泣いていた。
物語の最期、夢に向かって走っていけるように、鳳先輩は星谷の背中を押してくれる。
私の背中を押してくれる人はいない。私はオタクだから、自分で、自分の力で苦しくても推しの後をついていかなくてはならない。
俯くと、足元には桜の紙吹雪が落ちていた。
オタクは消耗するばかりだ。しんどい。でも、推しが本当に、最高に楽しそうに笑って舞台に立っていたら、全てチャラになる。
楽しそうに、お芝居をする彼の姿が見れた。それだけで、今日、この椅子に座った意味はあった。

スタミュミュはとっても楽しくて、ハッピーで、私を幸せにしてくれた。
こんな、どうしようもないダメな私に、楽しそうな推しの笑顔を見せてくれた。感謝しかない。やったね!
最近、心底思うのだが、芝居でちゃんと返してくれる推しの事を応援できる環境はオタクとして本当に恵まれている。
こんなに沢山いる若手俳優の中で、上手い下手は別として、ストイックに自分の仕事に向き合ってくれる推しと巡り合えるのは奇跡だと思う。私の推しは正直まだまだ成長期で、演技については発展途中だ。ミスもするし、フリートークは苦手で、カテコのコメントも「それ、今さっき○○君が言ったやんけ!」みたいな、ふにゃふにゃ加減だ。
だけど、絶対に真面目に仕事に取り組んでくれる。俳優として、演技に向き合うという意味では裏切られた事は無い。
スタミュミュは、私にそれを思い出させてくれた。

スタミュミュでは漣先輩が本当にかっこ良くて、歌もダンスも最高だったので、東京楽の後に調度やってたライブに行って漣先輩役の彼にありがとうを言ってきた。「こんな所まで来ちゃったの?」と笑ってくれたが、漣先輩のおかげで私のQOLは爆上がりだった。漣先輩の夢女になりたい。(ぶっちゃけ推しの100倍話してくれて、凄いオタクの扱い上手いし、彼のファンは幸せだろうなと思った。)
キャラクターとしては、天花寺くんが凄く愛しくて、本当に良い演技をしてくれる役者さんだなと思った。天花寺くんの存在も感謝しかない。正直、鈴木勝吾さんのお芝居は別作品でも観たい。デビミュの時は、内藤大希さんがそれだった。他の役者さんの良い所を見つけられるのも観劇の楽しさだと思う。

そんなこんなで、くそ暑い中誰とも会話のないまま大阪へ行き、ハイボールを飲んで、推しの誕生日を祝ってきた。
楽しかった日々も終わり、今日、ふと仕事終わりの電車の中で思い出した事がある。
そもそも推しの事を応援しようと思ったきっかけ。それは、推しが私の見たかったキャラクター像を、私の求めている以上の答えで表現してくれたからだった。
何でこんな大切な事を忘れていたんだろうか。
私、推しと、推しの演じる役の解釈が完全一致なんだ。
何だか肩の荷が下りた気がした。今も、これからも同短拒否のダメオタクだけど、推しと解釈が完全一致という事実のおかげで、次の現場も生き残れそうだと思った。


もう直ぐ次の現場が始まる。オタクの夏はまだまだ始まったばかりだ。

オタクになって半年が過ぎた

しばらくブログを書いていなかった間に、いくつかの舞台が終わり、冬から春になり、もうすぐ夏がくる。

その間の私はというと、うっかり前列立ち居地ゼロズレで推しの姿を拝んでしまい、いよいよオタクの楽しさに、沼にハマってしまった。

全通とはいかないまでも仕事の都合がついた為それなりにアイアに通い、エクセルシオールで手紙を書き、これが私信か?と一喜一憂し、プレを着てもらい、チェキを撮ってもらったり握手してもらったりした。思えば、過去の記事ではプレは渡さないと言っていたのに、やはりオタクの言う事は当てにならない。

 

本当に右も左も分からないまま足を突っ込んでしまったが、今のところ順調に俳優オタクのテンプレを経験している。ジャニオタの友人達に、今まで三次元の良さをちゃんと理解してなくてごめんと謝罪しながらハイボールを呷る日々である。

初めてプレゼントを使ってもらった日は、偶然にも私が仕事で大きな区切りをつけた日だった。二度目にプレゼントが採用されたのは、公式サイトができて一発目の動画だった。本当に推しに生かされている。感謝しかない。

だけど不思議な事に役者として好きになればなるほど、楽しい事と同じくらいしんどい事もあって。早く楽にしてくれ、二次オタに戻りたいと思いながらも好きな気持ちは抑えられず、今日もチケ取りに励むのである。

ファンになって半年と少し経ったけれど、たった半年応援してきた間に本当にいろんな表情を見せてくれるようになった。たった半年だ。1年後、3年後、もっとその先の彼はどんな演技を魅せてくれるんだろう。どんな表情で、どんな言葉を語るんだろうか。そんなまだ見ぬ将来を想像すると、もう少しオタクはやめられないなと、ぼんやり考える。

 

アニメや漫画のキャラクターに夢中だった時には、ぼんやり能動的に応援するという概念がそもそも無かった。毎日躁みたいな感じだった。だけど、若手俳優のオタクをしている時は違う。いろいろな事柄が絡み合って、自分でもその境目が分からなくなってしまった。私だけかもしれないが、役者として少しずつ魅力を知っていく事で、その延長線上としてどうしても本人の人柄が繋がってきてしまい、役者という存在と、一人の生身の人間という存在が切り離せなくなってくる。役者という偶像化された彼は、本当の彼じゃないという事は分かっているはずなのに。そんなフワフワした感覚が心地良くて、アレコレひっくるめて好きという気持ちは大きくなっていく。

 

夏は推しの誕生日をお祝いできるので、今はそれが毎日の楽しみだ。現場もあるし。

プレゼントは元々決めていたんだけれども、最近同じものを持っている俳優を見かけるので今更悩んでいる。

現場に通える間は、とりあず今日も私は生きていけそうだ。

 

ミュージカル「刀剣乱舞」~つはものどもがゆめのあと~

長いようであっという間だった、刀ミュの秋の公演がやっと終わった。

今回は過去の公演と比較しても公演数が少なかったはずなのに、この3ヶ月間本当に長く感じた。正直、早く終わって欲しかった。私が見れない日もtwitterにはキャストがキラキラと眩しい写メを上げてくれるので、TLを見る度その日劇場に行ける観客たちが羨ましかった。羨ましくて羨ましくて、どうすれば私が劇場に行けるのか、彼らの闘う姿を見れるのか考えた。分かっているけど、分かっているから、調べてはブラウザを閉じてを繰り返していた。嫌になってしまい、推しのツイートにリプやいいねを付けない日もあった。そんなしょーもない事を繰り返した3ヶ月、他人から見たらしょーもない3ヶ月だけど、いろいろな新しい世界を知ったし楽しい事もあったので良しとする。

 

 

個人の意見ではあるが、私はこれまでの刀ミュ史の中でつはもの公演が一番好きだ。

私は、刀剣乱舞というコンテンツのテンプレでもある「元の主(歴史)のために歴史改変へ心が揺れ動く」というストーリーに飽きていた。トライアルや阿津賀志山の時に感じた感動も、その後のメディアミックスで繰り返される事により食傷気味になっていたのだ。それは私だけでは無かったと思う。

そんな中、刀剣乱舞というコンテンツが今後何処を目指していくのか、その道筋を形として示してくれたのが「つはものどもがゆめのあと」である。その試みは「三百年の子守唄」の時からはじまっていた。完全に私個人の意見だけれど、みほとせは作り手側もファンもある種生みの苦しみだったのではないだろうか。次のステップへの葛藤の時期というか、どうすれば刀ミュを長期コンテンツへと展開していけるのかファンも不安を抱えていたと思う。演出の茅野さんがパンフレット冒頭でも述べているが、つはもの公演はターニングポイントとして確かに結果を残したと思う。

 

物語は、歴史とは何なのか、刀剣男子たちが自身の存在の不安定さに気付き、悩み葛藤しながら進んでいく。

上手いなと思ったのは、源義経を歴史上の人物としてではなく義経伝説に寄せて描いたところだ。歴史として語り継がれてはいるが、その最期については正確さに欠ける。昔、世界史の授業で、チンギス・ハンが義経だったら面白いよねと先生が話していたのを覚えている。どちらへ向かうのですか、という今剣の問いに義経は、北へ向かいさらにその先の大陸まで逃げてやると答える。義経はこの歴史の中では伝説の存在になったのだ。

義経や弁慶が伝説となったように、今剣や岩融もまた義経伝説における刀剣、薙刀である。そしてそれは様々な伝承をもつ髭切もまた、実存しているが正確さに欠ける存在である事を示している。千年以上刀やってるとたいていの事はどうでもよくなった、と髭切は笑うが、膝丸は箱根権現へ奉納の様子を見に行くのを断っており、実に人間味溢れるキャラクターとして描かれている。小狐丸に関しては、元々自身で小鍛冶について触れているため言わずもがな。歴史の中でかたちが残ったものとして、確かな存在として描かれるのは三日月宗近だけである。三日月宗近は、歴史とは流れる水のようなものと話す。千年も前の事など誰も証明できはしないさ、と。誰にも正確なところは証明できないからこそ、歴史上の伝承や逸話、物語を刀剣男子たちの存在に結びつけた。

そもそも刀剣乱舞の世界では、妖怪やら鬼やら幽霊やらを斬ったと伝承される刀剣たちが複数登場する。焼失したものもいる。出自がはっきりしており、なお且つ現存している刀剣は限られている。今剣に関してはゲーム内でもその在り方について触れられていたが、ミュージカルの世界線では伝承も含めて刀剣を取り巻くもの=彼らの中の記憶となるようだ。彼らの中で生きている形のないもの、それもまた歴史のひとつである。

 

大千秋楽が終わったので、私の一番好きなシーンについて語らせて欲しい。大千秋楽が終わったタイミングで他の人たちも堰を切ったように呟きだしたので、今更ではあるのだが。

三日月宗近藤原泰衡に正しい歴史について話したシーン。泰衡は最後に、我が骸と会うことがあれば蓮の花を供えてくれないかと三日月宗近に頼む。約束は守ろう、と答える三日月宗近。後に、泰衡の首桶の中からは調査の際に100個あまりの蓮の種がみつかっている。この種は2000年に開花して、今でも中尊寺蓮として存在し、年に数日ほど開花するそうだ。もしかしたら三日月宗近が約束を守るよう差し向けたのではないか…。そんな都合の良い空想をするくらいは許してもらえないだろうか。

三日月宗近が蓮の花を持って舞うシーンは本当に美しかった。あの歌は三日月宗近から泰衡や頼朝(髭切から三日月が感情移入してしまうと言われた、歴史として形の残ったものたち)に向けて歌われていたのだろう。三日月宗近はどこか孤独な存在である。刀である彼はいつも見送る側で、共に長い時を過ごしてくれた人間はいなかったのだから。だからこそ、汚れ仕事は俺一人ですれば良いと自分の在り方を決めているし、小狐丸と対峙しても自分の意思を曲げなかった。今思えば刀ミュでの三日月宗近というキャラクターの方向性は、当初から固まっていたのだと思う。三日月宗近の孤独は、小狐丸ら三条のものたち、そして源氏の二振りがそれとなく埋めてくれると信じている。

 

今回は義経の熱演に何度も泣かされてしまった。荒木さん演じる義経は本当に美しく、強く、優しさに溢れていた。勧進帳のシーンでは、田中さん演じる弁慶との師弟愛に何度見ても泣いてしまう。この方は本当にボロボロに傷ついた義経が似合うなと思ってしまった。戦って傷つき、精神的にも追い詰められているはずなのに、瞳が最期まで本当にキラキラしていて、自害しようとしているのに瞳の中に力強さとか生命エネルギーみたいなものが消えていない。戦場のカリスマとしての義経を本当に演じきって下さった。また阿津賀志山で義経と会えるのかと思うと本当に嬉しい。

 

そして北園さん演じる小狐丸の成長に感激したのは私だけではないだろう。今回1部2部併せてソロが3曲もあり、なかでも『あどうつ聲』は開演初っ端。らぶフェスでもお披露目されたが、あの時ソロを歌ったのは蜻蛉切と二人だけである。いたる所で褒められまくっていたが、小狐丸の存在感はとても大きかった。もっと大きくなって帰ってきます、と挨拶して下さった事がとっても嬉しかった。

麻璃央君演じる三日月宗近もビックリするほど歌も演技も上手くなって帰ってきてくれた。麻璃央君ファンの方がテニスの時みたいだって話していたが、時間を空けて再演した時必ず成長して帰ってきてくれる役者さんみたいだ。私は三日月宗近役で初めて彼を知ったけれど、本当に頼もしく感じた。正直な話、私は以前から鈴木拡樹さんが好きなので、別作品とは言え、あの拡樹くんと同じ役を演じるのは酷じゃないかと思っていた。どうしても両者の三日月宗近を比べてしまうし、阿津賀志山の時は台詞の抑揚の癖の強さが気になって集中できないシーンもあった。でも今は違う。どこか影や孤独さを感じさせる、美しい三日月宗近を演じきってくれた。彼はカーテンコールでもキャラクターを崩さず、ファンに約束するときも言葉に非常に気を使ってくれる。麻璃央君の三日月宗近が約束してくれると、本当にまた会えると確信できるのは不思議だ。

 

本当に夢をみていたような素敵な時間だった。私は、またこの6人に会えると信じている。

そして阿津賀志山のみんな、おかえりなさい。約束を守ってくれて本当にありがとう。

 

 

しかし夏はスタミュミュに通わなくてはいけないので、パリまで追いかけていけないのであった。ごめんね刀ミュくん!東京で見ます。

推しのパリ行きが決まっていたら、今頃混乱していたと思う…今は正直ほっとしている。

オタクは推しを全肯定するべきなのかー私はリアコじゃないけど

クソオタクが自己満で書き殴っているブログですが、過去記事読んでくださったりスターつけて下さった方ありがとうございます。文章を書くのが下手なので読みにくいし、たぶんその内飽きるかとは思いますが、気が向いたらお付き合い下さい。

 

 

 

推しについて舞台やイベントの感想を書くべきだが、あまりにも特定余裕過ぎて下書きのままになっている。推し以外で最近見に行った舞台は若俳まったく関係ない小劇場系なので、それについてここで書くのは違うし。2月は髑髏城の下弦とノスワンを見に行きたいと思っているが、来月の勤務予定がまったく分からないので予定が立てられないままである。社蓄は弱い。精神的にも金銭的にも。

という訳で推しの仕事について書く代わりに、推しとどうやって向き合っていくべきか最近ぼんやり考えていた事をアウトプットしてみようと思う。

 

 

学生時代、私はゆきりんのオタクだった。たいして金も落としていない、ぬるい茶の間だったので、今となってはオメーそれはオタクじゃねーよと思うのだが。ゆきりんを推せないと思ったきっかけは今でもよく覚えている。

加入時からずっと黒髪だったゆきりんがある時茶髪になった。

ゆきりんは、いつかの堂○兄弟でアイドルは黒髪であるべきと話していた。リアルタイムで番組を見ていた私は、自分の好きなゆきりんはもういないのだと思った。裏切りだとか、嘘つきだとは感じなかったし、髪型くらい本人の好きにしてくれてかまわない。アイドルは黒髪であるべきと語り、アイドルとしてこうありたいと番組内で自身でプレゼンしていたゆきりんが茶髪にした事を、私は肯定してあげることができなかった。

 

オタクはいつでも推しを肯定してあげるべきなのだろうか。

私は未だにこの問題に答えを出せずにいる。

 

時々、パフォーマンスや対応についてファンレターでダメ出しをしてしまった、というオタクがいる。そういう行動に出るオタクの推しに対する熱量たるや、凄いものである。きっと私には真似できないだろう。(もちろんアンチとして行動する人もいるのだろうが)

それは、推しの事を隅々まで見ていて凄いですね等という嫌味や煽りからではない。単純にめんどくさいのだ。しんどい。私には無理だ。

いやだって、人に注意するのってめちゃくちゃ体力欲しくないか?ましてや相手により良くなって欲しいと思い、どうすれば限られた言葉の中で効果的に伝えられるか考え、実際に相手が心動かされるかも分からない中行動に移すわけだ。推しに伝える前にこちらの心が折れてしまい、まあ今回はいいかと目を瞑ってしまうオタクもいるはずだ。かといって、オタクとして買い支える以上肯定もできない。我々オタクはどうしたらベストなのだろうか。

 

私の推しはトーク力がない。

おそらく今までの芸能生活の中で感じ、経験してきた事からの影響は大きいだろう。推しの歩いてきた芸能生活は、決して平坦な道ではなかったはずである。それは私のような新規のオタクでも分かる。下手に話さないほうが上手く回る場面もあるだろう。

しかしながら、私はもっと推しの声を聞きたいし、推しの考え方や好きなこと嫌いなこと、まだ私が知らない推しの一面を見せて欲しいと願っている。私は推しの現状を推しが可愛いからという理由で肯定しているが、この先は分からない。1年後、2年後もオタクでいるのだろうか。今はまだ何も考えられない。

推しの名前で検索すると、彼女は誰々とかいうお決まりのSEO対策したクソのようなアフィリエイトサイトやらブログやらが上位に出てくる。この手のサイトが情報化社会の精神年齢を著しく低下させている事は置いておくとして。先日その彼女だとか揶揄されている人物が、推しの舞台を観劇しましたとツーショット写真を上げてツイートしていた。推しはその日のツイッターでその件について何も触れなかった。おいおい付き合いの長い相手じゃないか、苦楽を共にした相手が今の自分の活躍を見に来てくれたのに触れなくて良かったのかと心配になった。こんな細かい所にまでオタクに気を使わなくてはいけないのか。相手が女性だから、大切な仕事仲間が観劇に来てくれた、嬉しい!と呟いてはいけないのか。推しよ、精神的に疲労しないのか。

推しにもっと好きに話して欲しい、オタクや周囲に気を使いすぎているのではないか心配だ、と伝えられたら私は楽になるのだろうか。

 

推しの事は最高にキュートで男前でかっこ良くて、毎日推しの画像を見て、推しの出ている映像を見て、推しのナレーションする動画を見て(たどたどしいナレーションがとても可愛い)、推しの歌を聞き、ダンスを見ている。推しの事を考えると尊くて苦しくなる。ちゃんと温かくして寝ているのか。ちゃんとご飯を食べれているのか。大雪の日にいつもの原宿の美容院へ行ったみたいだけど、雪道で転ばなかっただろうか。

私は一人のオタクとして推しの事を考え、苦悩し、何も手につかず大森靖子を聞いてボーっとしたりするが、リアコではない。

これは元々自分が二次オタでアニメキャラが大好きで、だけどそんなに大好きなアニメキャラに対して会いたい!付き合いたいし結婚したい!と真剣に思った事がないからだと思う。推しの事もきっと二次元のアニメキャラと同様に、自分とは絶対に交差しないレールの上にいる人で、遠い遠い存在だと思っているのではないだろうか。事実、若手俳優なんて役者にもよるだろうが身近だけど遠い存在だ。友人や知人に飲み会混ぜてください、サインもらって来てくださいなんて言いたくないし、申し訳ないけれど言える人はちょっと厄介なオタクの仲間入りだと思う。そもそも推しと年が離れすぎてるし。それにオタクである以上、ガチで恋しても推しとそのオタクという関係性は永遠に続くだろう。それってきっと、ぬるいオタクでいる今よりずっと苦しい。

 

前述したダメ出し云々だが、おそらくリアコだったら簡単に飛び越えられる問題なんだと思う。だって職場や学校やバイト先で会う人々と同じように現実の目の前にいる人物として推しが好きで、好きな人に「あれやめなよ評判悪いよ」「なんでSNSでああいう事するの?悲しむ人もいるよ?」とより良い方向に変わって欲しくて伝えるのは正常な事だから。いやまあ別に私は推しの話下手について変わって欲しい訳じゃなくて、自分の見せ方について苦しんでるんじゃないか不安だから、もう少し気楽にやってくれ~程度の訴えですけども。とは言え、急にめちゃくちゃ饒舌になってガンガン前に出てくる推しを見たらビビる。今コンビ売りされている相方はそりゃもう生き方うめえなというくらい笑顔で伸び伸びやっていて、彼を見ているとこちらも笑顔になってしまうのだが推しと比較してしまうのも事実だ。

 

推しは気遣いの塊のような男でいい子ちゃんだが、そんな推しもいつか炎上するのだろうか。男性芸能人のオタクになった事がないので、その時自分は推しを肯定するのか、それとも否定してオタクをやめるのか未知である。

人によって肯定できない事の基準は様々だと思うが、推しをいつでも肯定するべきなのかは私にとって永遠の命題である。

 

 二次オタってそう思うと精神的にめちゃくちゃ楽だった。アニメに出てくるキャラクターはその本編が全てで、解釈変わんないし。過去にアスラン・ザラとかいう愛しのハゲを監督夫婦におもちゃにされた事は今でも根に持ってるけどな。アニメの最後なんだよ、女ったらしの訳分かんないキャラじゃねーか本カノどうすんだよ。

三次は常にアップデートされるから、日々しんどいです。